山梨県・やまなし自然塾
桃・すもも・ぶどうの生産量日本一※を誇る「くだもの王国」山梨県。なかでも甲府盆地は水捌けの良さ、朝晩の寒暖差など、果物づくりに適した環境から中心的生産地を担っています。やまなし自然塾の小澤博さんは、甲府盆地で長年「BMW技術」と呼ばれる自然循環農法を活かした果物づくりを行なってきました。生きものは皆、生命をつなぐ営みと循環の仕組みのなかで生きている。そのなかで力を振り絞って実をつける桃の姿はほんとうに美しいものでした。
※農林水産省 令和3年産の結果樹面積・収穫量・出荷量の都道府県順位
「桃の何がいいかって、果物のなかでもすごくデリケートで、美人薄命っていうのかなあ、憧れるんだけど儚くもあって」。そう破顔するのはやまなし自然塾に所属する桃農家の小澤博さん。栽培技術など真剣に話していたところから、桃の魅力の話になると一転、こちらが照れそうなほど惚れ込みようが伝わる表情に。桃とは食べる人だけでなく作る人をも虜にする、かように人を惹きつける果物なのです。
「桃の味と芳香が人間にはたまらないんですよ。『桃源郷』て言葉があったり、神秘的な力を持つものとして物語にも多く登場する。桃は花が咲いて実になるまで100日~120日なんだけど、1週間から10日くらいでワッと肥大する、それがまたなんともいいんです。一方で品種ごとにだいたい1週間で全部収穫しないといけない、生命の短い生きもの。店に置くにも腐りやすくて扱いが難しいんだけど、でも皆、儲からなくても桃を置かないわけにはいきません。その季節に桃のない店って、なんだかちょっと物足らないじゃないですか」
思わず手を伸ばしたくなる桃色の実
小澤博さん
旺盛に葉を茂らせる桃の木
やまなし自然塾の基幹にあるのは「BMW技術」と呼ばれる自然循環農法。小澤さんは化学肥料を使わず、BMW技術でつくる堆肥で桃を育てています。
「自然の循環サイクルはB=バクテリア、M=ミネラル、W=ウォーターの3つでできています。生きものの亡骸や排泄物をバクテリアがミネラルと水に分解して、また新しい命が育まれていくわけです。それを農業に応用するのがBMW技術で、畜産業において必ず出る排泄物を堆肥として有効活用しています」。桃づくりで大事なのは健康な木を育てること。そのためには化学肥料よりも自然に備わったものを活用するほうが「具合がいい素直なもの」ができるのだそう。
「信用できる肥料を、実をならせるのに必要なだけ供給することも大切。満腹になりすぎても本来の力が発揮されないので、肥料の量は少なめにしています。使う農薬の量も慣行農業の1/3ほどで、木の観察を細やかに、病気の予防的な撒き方をしないことで使用を抑えて。『近代化農業の実態を見直そう』という挑戦をずっとしてきました」
BMW技術は微生物の働きから良い土と良い水をつくる技術
「子孫を残そうとする生きものの自然のはたらきを活かすには肥料も自然のものがいい」
もともとは桑農家だったという小澤家。大学卒業後すぐに農家を継いだ小澤さんは、30代の頃に桃農家に転換しました。
「戦後すぐの日本の農業は米麦養蚕で成り立っていました。ただそれじゃやってけないということで、青森だったらりんご、山梨だったら桃とぶどうと、特産物が開発されていって。大産地になる要因は適地適作ということだけど、人々の努力も大きいですよね。桃をやりはじめて、はじめはやっぱりすごく大変でした。1年に1度しか収穫できないから、10回くらいは挑戦しないとわからない。逆に10年続けばそれだけやっていける力がある、ということでもある」
農家になって約50年。すぐに農家を継いだのは身体づくりとしても良かった、と小澤さんは振り返ります。
「桃は収穫期間が短くて、雨風関係なく作業しないといけないし、脚立にのぼる必要もある、体力が必要な作物。若くて一番良い時期に違う仕事に従事していると、だんだん身体が動かなくなるとも聞きます。僕はまだまだ元気だから、『ひとみちの重みはある』と感じますよ」
小澤さんと妻の和子さん
尺八の師範でもある小澤さん。和子さんもお箏の先生
気候が変動するなかでの農業の難しさについての話題になると、「環境変化に強い野生的なものを育てる必要もあるかもしれないなあ」とぽつり。
「“より甘いものを”と素晴らしい品種が生まれてきたけど、そのぶん弱くなっているところもある。人もそうで、ガスや電気がなかったらどう暮らしたらいいかわからない。でも、何があっても原点に戻れるような社会がいい。人も動物も植物も、死んでまた他の生命が生まれる、すべて生きものはそういうカラクリのなかにいることをもっと大事にすべきだと思います。BMW技術はそれを伝えるものだから、大変だけどずっと続けてきたんです」
山梨県果樹園芸会会長を務め、令和元年には篤農家として黄綬褒章(おうじゅほうしょう)を受けた小澤さん。皇居で表彰を受け、BMW技術についてマスコミで詳細に紹介される機会にも恵まれました。
病気を媒介する水と一定期間日射を遮断するために行う「袋掛け」。すべて手作業による大変な作業。
黄綬褒章の表彰状
木から桃をもぎとって、ガブッと丸かじりする小澤さん。「硬いのをバリッといくのがうまいのよ。やわいのなんて桃じゃねえ(笑)」妻の和子さんは「丸かじりするのは桃が身近なこの土地の人ならではの食べ方だと思いますよ。私は皮を剥いて切って食べますし、やわらかいほうが好き」と笑います。
桃畑に立つと、木々の大きさに圧倒されます。たわわになった桃たちに「桃源郷とはこんなところかしら」と思わずにいられません。桃の木の寿命は約20年で、最盛期の13年頃にはひとつの木に800~1,000もの(!)実が成るのだそう。
「収穫間際の桃はほんとうにきれいだよぉ。こんなに力があるんだ!って、木の力を実感するね」。最後にそう語ってくれた小澤さんの表情はどこか誇らしく、桃の木々への敬意が滲んでいました。命をつないでいく生きもののカラクリのなかで、木が振り絞る力の結晶。だからこそ果実は私たちを惹きつけてやまないのかもしれません。
山梨県 やまなし自然塾
小澤農園代表 小澤博さん
環境保全型の自然循環農法「BMW技術」を取り入れ、安全でおいしい果樹作りを目指す仲間が集うやまなし自然塾。小澤さんは桃とぶどうの生産者会員として1990年の発足当時から加盟。現在はベテラン会員として若手の育成にも尽力。山梨県果樹園芸会会長、黄綬褒章受章。
BMW技術は自然界における生態系循環の浄化作用をモデルにバランスよく微生物を活性化し、生きものにとって「よい水」「よい土」をつくりだす技術です。現在BMW技術協会の理事を務め地域におけるリーダーシップを担っているのは、らでぃっしゅぼーやでも「平飼い卵」でお馴染みの黒富士農場さん。やまなし自然塾の事務局も務められており、小澤さんが桃づくりに使っている堆肥は黒富士農場などオーガニックファームの鶏糞からBMW技術でつくられたものなのです。
「良い環境で、遺伝子組み換え品種や抗生物質を使わないなど、餌にも気遣って育てられた鶏は肉質だけじゃなくて糞の質も良いので、堆肥にしたときの効果も大きい。効き方が違ってきます。ぜんぶ繋がっているので、循環型の社会をつくっていくには業種間の連携も大事です」と小澤さん。
農業という観点に立った時、廃棄物に見えていたものが資源になる。それはこれからのより良い社会を考えていくうえで大切な、そしてとってもワクワクする気づきであるとあらためて思いました。